2018.06.15

倶舎論講読会

GOMANG ACADEMY REPORT
現銀谷史明

2015年より行なっているGOMANG ACADEMYの研究活動の一貫として、ゴペル・リンポチェによる『阿毘達磨倶舎論』を対象とした研究会が昨年から行われている。参加者はチベット仏教を志す若手の研究者が中心となっており、デプン・ゴマン学堂で使用される教科書を日本語訳していくという最終目的のために行われている。

倶舎論(Abhidharmakośa, ཆོས་མངོན་པ་མཛོད།)は日本では仏教の基礎学として重視されているが、またその難解さも知られ、学徒の肝に銘ずべきこととして古来「唯識三年、倶舎八年」と言われてきた。チベットでも仏教教義の習得に必須のテキストと見なされ、数多くの註釈が作られてきた。

倶舎論について

『倶舎論』は詩節と散文からなる。詩節の部分を本頌、散文の部分を自註という。自註とは世親が書いた本頌に対して世親自身が注記したものなので、そのように言われる。(漢訳仏教圏では「長行」と言う。

『倶舎論』は全八章からなる(「界品」「根品」「世間品」「業品」「随眠品」「賢聖品」「智品」「定品」)。

『倶舎論』には附論として「破我品」があるが、この章には本頌がなく、すべて散文で書かれている。

『倶舎論』にはサンスクリット原典の他、漢訳には真諦訳22巻(大正1559)、三蔵法師・玄奘げんじょう(602-664)による訳30巻(大正1558)があり、前者は「旧訳」後者は「新訳」と呼ばれる。また玄奘による倶舎論本頌のみの漢訳も存在する(大正1560)。

チベット語訳には次の二点がある。ཆོས་མངོན་པའི་མཛོད་ཀྱི་ཚིག་ལེའུར་བྱས་པ།(Toh.4089『阿毘達磨倶舎論本頌』)、ཆོས་མངོན་པའི་མཛོད་ཀྱི་བཤད་པ།(Toh.4090『阿毘達磨倶舎論』)である。両者とも、訳者はジナミトラ(Jinamitra)とペルツェクラクシタ(Dpal brtsegs rakṣita, 9c)である。

ところでチベットでは『倶舎論』とは「倶舎論本頌」のみを指し、散文は『倶舎論』とは呼ばれず、自註(rang ‘grel)と言われる。それ故「破我品」も『倶舎論』と呼ばれることはない。

ゲルク派の倶舎学

上記のようにチベットでは『本頌』のみを『倶舎論』(ズー・ツァワ)と言い、散文を『自註』(ランデル)と呼ぶことから、チベットでの倶舎論註釈書は例外を除き『本頌』に対する註釈である。

ゲルク派では倶舎論の学習をまず倶舎論本頌の暗記し、ダライ・ラマ一世ゲンドゥンドゥプ、རྒྱལ་བ་དགེ་འདུན་གྲུབ།, 1391-1474)講説の『解脱道解明』(མཛོད་ཊིཀ་ཐར་ལམ་གསལ་བྱེད།)を学ぶ。そしてその後、チム・ジャンペーヤン(མཆིམས་འཇམ་པའི་དབྱངས།, 13c)の『阿毘達磨荘厳』(ཆོས་མངོན་པའི་མཛོད་ཀྱི་ཚིག་ལེའུར་བྱས་པའི་འགྲེལ་པ་མངོན་པའི་རྒྱན།)の学習に取り掛かる。

『解脱道解明』は世親の『自註』の中で述べられる煩瑣な議論を略し簡潔に要点をまとめており、仏教教理の基礎理論を学ぶ際に便利なテキストである。この書によって 『倶舎論』の基礎を学び、その上で、より詳しい説明また議論について学ぶために上述の『阿毘達磨荘厳』(通称『チムズー』)を勉強する。この『解脱道解明』と『阿毘達磨荘厳』はゲルク派に所属する全学堂で学ばれ、倶舎論習得に関して共通の基礎知識となる。そしてそれを踏まえ各学堂で採用している独自の教科書を学び、教義における問題点を取り上げ、精確な議論を通して、倶舎論の間違いのない解釈を会得する。

クンケン・ジャムヤンシェーパの倶舎論註釈書

本山デプン・ゴマン学堂では倶舎論の会得にクンケン・ジャムヤンシェーパ(ཀུན་མཁྱེན་འཇམ་དབྱངས་བཞད་པ།, 1648-1721)の註釈書『牟尼説宝蔵』(མངོན་པ་མཛོད་ཀྱི་དགོངས་འགྲེལ་གྱི་བསྟན་བཅོས་ཐུབ་བསྟན་ནོར་བུའི་གཏེར་མཛོད།)を学習する。

この教科書は、倶舎論での議論をさらに掘り下げ、詳細に検討を加えており、討究の方法も論証形式に則り議論を進めて行く。その際、世親の自註、ヤショーミトラ註(称友、Skt. Yaśomitra, Tib. རྒྱལ་པོའི་སྲས་གྲགས་པའི་བཤེས་གཉེན།, ཆོས་མངོན་པའི་མཛོད་ཀྱི་འགྲེལ་བཤད་དོན་གསལ་བ།. Toh.4092)やプールナヴァルダナ註(満増、Skt. Pūrṇavardhana, Tib. གང་བ་སྤེལ།, ཆོས་མངོན་པའི་མཛོད་ཀྱི་འགྲེལ་བཤད་མཚན་ཉིད་ཀྱི་རྗེས་སུ་འབྲང་བ།. Toh.4096)からの引用文を織り込み、言わば倶舎論解釈に対する全知識を授与する様相を呈している。
それ故、クンケン・ジャムヤンシェーパの倶舎論註の読解はチベットの倶舎学のみならず、仏教が伝播したあらゆる地域の倶舎論研究にとっても不可欠のテキストと言い得る。

研究会の様子

この註釈書をリンポチェに読んで頂いている。講義は先生がテキストを読み、解説を加えて下さる。細部にわたる議論は論理の流れを追って行くことだけでも難しい。議論では当然のことながら倶舎論の教理体系が前提となっており、その知識が欠けていると議論の意味すら分からない。それのような点をリンポチェは丁寧に解説して下さるので非常に有意義である。また論証過程で分かりきったこととして省略されてしまう論理式も具体的に補って説明をして下さる。

先生の説明はチベット語で行われ、通訳はいない。それ故、聞き漏らした点や判然としない箇所を講義終了後、できる限り参加者同士で補い確認しながら復習している。

現在は、『倶舎論』第1章「界品」の<アビダルマは仏説か否か>の箇所、すなわち毘婆沙部の阿毘達磨論書、所謂「六足発智」は阿羅漢が著者であるため、仏説と言うことは出来ない、という批判に対し、毘婆沙部はこれらの論書は世尊によって、あちこちで散説されたものであり、それを著者たる阿羅漢たちがまとめ、編集したものであるので、仏説に他ならないと主張する箇所まで購読が終わった。

筆者を含め受講者全員がチベット語を知り、リンポチェの説明をことごとく理解できているわけではない。むしろ、リンポチェの表情や身振り・手振りにまで目を凝らし何のことをおっしゃっているか、推測しながら聴いている。

クンケン・ジャムヤンシェーパの註釈書はそれを専門に学んだ先生から教示されないと理解することができないことを皆が知っているからである。

そのような私たちにリンポチェは

「倶舎論は難しいですからね、読めば前世の業障が清められますよ」

と励まして下さった。

講読会は月一回のペースで開かれている。チベット僧院で行われる学問の水準を体験でき、ゴマン学堂の伝統的な教義を学べる貴重な講読会への参加をお待ちしています。

次回の講読会は7月21日(土)13:00から行います。


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