2018.01.29

心ひとつを改めて

「仏教は心を変えるための教えですよ」

1月25日の未明、いつも京都で法話会をさせていただいている安楽寺で火事がありました。新聞やネットで載っている情報でしか状況がわからなかったため、先生方と話し合い、とりあえずお寺に行こうということでアボさんが京都にお越しくださいました。その時、ぽっとアボさんの口から先程の言葉が出ました。

私たちは、普段仏教を勉強していますと言いながら、自分の外に何か仏の教えがあるように思って勉強していないでしょうか?少なくとも私はそうです。お釈迦様が説かれた八万四千の教えは、全て私たち自身のことについて説かれているはずなのに、「仏教を勉強してるのに、難しいだけでよくわからない」となってしまうのは、結局そこの所を間違えて、教えを自分のこととして取れないからではないでしょうか。

先日遷化されましたゲン・ユンテン・タムチューもこのことをはっきりと説いておられます。

「そもそも”仏教”とはなにか。我々の望むもの、それは幸せじゃないですか。我々の望まないもの、それは苦しみじゃないですか。苦しみを完全に克服する方法、それがブッダが説いた教えです。そして究極の幸せの実現方法、これもブッダが説いているのです。だからこそ仏教をよく理解することで、我々の望まない苦しみを取り除くことができますし、幸せを実現する方法、それを知ることができるのです」

仏教は決して絵空事を説いたものではなく、我々自身についての話です。

「釈尊が私たち仏教徒に何を教えられたのかと言いますと、『十善を行いなさい』そうおっしゃっているのです。『十不善をおやめなさい』そうおっしゃっているのです。なぜそう説かれているのかというと、十不善をおこなうと、我々に苦しみが起こるからです。だからそれをやめなさい、そうおっしゃっているのです。一方で『善行をなしなさい』とおっしゃっているのはなぜかというと、そこから我々の望む幸せが実現するからなんです。だからこそ釈尊はそのように教えているんです」

私たちはいつも苦しみを感じます。しかしそれをよく観察してみると、嫉妬だったり我執だったり傲慢だったり、必ず何か間違ったことがあって自分が苦しんでいることがわかります。ですが、苦しみの原因を自分の心にではなく外に求めている限り、苦しみを断じることは決してできません。

「ですので、みなさんにこれ以上は申し上げるべきこともありません。みなさんも十不善をこれからは、なるべくやらないようにして減らしてください。十善を出来る限りなして、その機会を多くしてください。これをどうか実現してください。そう私はお願いしたいんです」

生涯を仏道修行に捧げられた先生の口から発せられたお言葉。これは本当に疑いようもない真実だと思います。

チベットのお坊さんたちと接すると、いつも頭がさがります。そして、こんな人に自分もなりたいなぁという尊敬の念が出てきます。常に己の心と向き合い、心を変えていくことに精進している方たちだから接する者に畏敬の念を抱かせるのでしょう。

亡くなられた安楽寺ご住職のお母様のもとでも、アボさんがお経をあげてくださいました。暖かくなったころに、安楽寺で法要を行わさせていだだければと考えています。以前、ゲレク先生が安楽寺でターラー菩薩について説法してくださいましたが、参加された方やターラー菩薩の経を持っておられる方は、読経してくださいますようお願い申し上げます。

(アボさんが、現在南インドのデプンゴマン学堂で執行(しぎょう)を務められているゲン・ゲレクに連絡をとってくださり、追悼供養が行われました。ゲン・チャンパも、ダライ・ラマ法王にご祈祷をお願いしてくださっています)

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