2018.01.09

日本別院ができたわけ

新年の長い休みが終わったり、これからようやく休みだったり、様々な松の内を過ごされたことと存じます。親しい方々とむつみあうときを過ごされた方もいらっしゃったかと。幼い頃はいとこと遊ぶ正月、始まった学校でのゴム跳びが楽しみだったことをふと思い出しました。

リンポチェとアボさんはなかなかお疲れが取れず、それが目に現れています。毎日7、8時間のお経の合間に行事が重なるので、致し方ないとお考えのようです。「体を持って生まれてくる苦しみですから」と笑っていらっしゃる目が充血して、声が少し弱くなっています。

本山デプン・ゴマン学堂では交代の人数も多くありますし、老いて賢きものに習い従う若きものが率先し、食事も配られ、俗人と交わることも緊張するほど珍しい為、ほぼ全てが集中してお経の時間に充てることができます。しかしながら、お堂でお経をあげること、部屋でお経を唱えていることの、どちらも大志は同じで「全ての生きとし生けるものの、この苦しみという輪廻からの解脱」。

どんな時にも四諦とモチベーションに立ち返ると、体の疲れは取れずとも心だけはゆとりを持つことができるもの、お二人は身口意を持って教え続けています。変節しない仏教を学ぶことが如何に心の助けになるか、如何に互いの助けとなるか、そのことを受け取ってほしい。ダライ・ラマ法王が日本別院での活動は学び舎であるべきであると繰り返し仰った所以を思い出す、寒い睦月です。

親しくないもの同士であっても、利する間柄でなくとも大切に思う時を過ごせる幸せが今年も長くありますよう、その気持ちを持ち続けていられますよう。たそがれてもゴムをとび越えようとする単細胞な私がなぜこの縁を得たのか。幼い頃のほとんどを労働と食べもの探しに費やしたチベット僧に、あなたは会い、アメージングな「日常」を見ることになるのですよと苦笑いしながら。

追伸  淡路島地鎮祭、関西・関東法話会のため、1月18日〜24日お堂でのお経はありません。
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