うつくしい子とかげの尻尾、木陰の赤土でやすむ蝶の先に生きるもの


作成日: 2017-08-12 最終更新日: 2017-08-22 作成:事務局

山をのぼる途中、美しいこどものとかげの尻尾にうっとりとし、赤土の木陰にとまる蝶に目をやります。どちらも鬱蒼とした中腹あたりに居を構えているのか、日々出会ういきものです。

動体視力の衰えた私は、逃げるとかげの西陣織のように美しい尻尾しか、見ることはできません。体の大きな悠々とした個体と違い、小とかげは落ち葉の中にすばやく逃げて行くからで、頭を隠して安心するのか、尻尾は取ってつけたように行き、そこでようやく何か動いたと気づいて私の目が追いつくのです。

私とは歴然とした違いはありますが、日々老いていくのはチベット僧も同じです。麻痺した体のケンスルリンポチェをおぶり、白内障の手術を終えたゲンギャウのそばにいたアボさんも、その頃とは違うのです。異変にいち早く気づかれた方から、遠近両用メガネを作っていただき、アボさんの顔の一部になるくらい肌身にお使いになっています。

ある日、アボさんが団十郎のように目を寄せていました。

何かテレビで腑に落ちることがあったそうで、人は太古、身を守るため視界がワイドであったことの名残から、お経を長時間読むために目で中心を追う行為は、生物学的に疲労を起こすものだと言うことがわかったそうなのです。目を寄せるのはそのチェック方法でした。

遠く離れていても、チベット僧と法へとお気持ちをお持ちくださるみなさまに感謝申し上げます。そうした思いに僧侶の応える形はいつも同じ、お経を読むこと、より深淵なところを差して、そこにすべての生きとし生けるものの幸せを祈願しておられるのだとありがたく、小とかげを脅かすだけの存在であってはならないと思う日々です。