Last Updated: 2020.03.21
HIROSHIMA INTERNATIONAL PEACE SUMMIT 2006

子どもたちへの思いやり

SESSION II - Compassion for Children
Ms. Betty Williamsを囲んで

基調講演:ベティ・ウィリアムズ

講演に先立ちまして、重ねてお礼申し上げます。本日はお集まりいただきましてとても光栄です。また、ダライ・ラマ法王にもひとことお礼を申し上げます。私が設立しました「子どもたちに愛情を与えるための国際世界センター」はダライ・ラマ法王のご支援もいただきこのたび世界初の「子どものための平和都市」を設立することとなりました。どうもありがとうございました。

さてこれからお話ししたいのは「私たち一人ひとりが兄弟姉妹であり、生まれてきたすべての子どもたちは、私たちすべての人の財産である」ということです。私が信仰していますキリストの教えのなかには、次のような言葉があります。

あなたが私の子たちである最も小さい者の一人にしたことは、
私に対してしたのと同じである。(マタイ福音書25・40)

またナザレのイエスは次のようにおっしゃっています。

もしあなたが私を愛しているなら、私の羊を飼いなさい。(ヨハネ福音書21・15-17)

イエスは十字架に架けられる前に弟子ペトロを抱きしめて、次のような別れの言葉をおっしゃっています。

私はこの岩の上に私の教会を建てよう。(マタイ福音書16・18)
私の平和をあなたに残し、私の平和をあなたに与えよう。(ヨハネ福音書14・27)

聖書の言葉を引用しましたが、決して私が突然キリスト教原理主義者になったわけではありません。もし私の額に自分の罪がすべて書かれていたとしたら、私は人前に出ることはできないでしょう。ただ、神への愛を公言しておきながら、神の名のもとに殺戮を行う人々に向かって、私は怒りを禁じ得ないのです。

十戒のなかに「汝、殺すなかれ」という教えがあります。この戒めは別の意味に解釈することのできない絶対的なものです。また、神は私が目撃してきたことをご存知です。ですが、私の属するカルヴァリー・カトリック使徒会の司教たちは、戦争による破壊活動について何ひとつとして語っていません。それにも関わらず、妊娠中絶を強く非難しています。

世界の子どもたちがさらされている危機


この世界中で日々無惨にも殺される人々の大多数が、神の創造物の中で最も小さな者たちであることにも私は憤りを覚えます。赤ん坊は神からの小さな贈り物です。尊い命です。しかし、現実では、この無垢で愛らしい無力な赤ん坊たちが、この世に生まれてすぐに人の手によって死を迎えさせられているのです。

世界の飢餓に関する報告書によりますと、このような豊かな時代にありながらも、8億4200万人の私たちの兄弟や姉妹が餓死しています。また、この報告書は次のようなことも言っています。それは2020年までに、アフリカの労働力人口の20%がHIVにより死亡するであろうということです。その大半は農業に従事する人々なのだと言います。

飢饉はエイズ感染を拡大させています。なぜかと言いますと、飢饉に見舞われた人々は自らの土地を離れ、HIV感染の危険性がより高い都市部へと移って行くことになりがちだからです。また、女性たちや子どもたちはお金や食べ物を得るために身売りをすることになり、その結果、HIV感染に対して無防備になるのです。そして、飢餓はHIVに既に感染している人々が日和見感染(健康な人ならば感染症を起こさないような病原体が原因で発症する感染症)を起こす危険性をさらに増大させます。一旦エイズを発症してしまうと、食物からの栄養を吸収する能力が衰えてしまうからです。エイズ患者はたとえ薬物療法を受けていても、この病気と闘うためにはより良い食事を摂取する必要があるのです。

さらに悪いことに、現在では結核にかかる人が世界中で増えています。特に多いのが薬が効かなくなってしまう多剤耐性タイプの結核ですが、これは免疫障害を持つ人たちにとって最も危険です。

同時多発テロが発生した9月11日は、真珠湾攻撃の際にフランクリン・ルーズベルトが使った言葉を借りれば「汚名の日」とされるでしょう。同時多発テロにより3,000人以上の人々がアッラーの神の名の下に殺されましたが、その同じ日に、35,615人の子どもがこの世界で飢死しているのです。、しかしながら、誰もそのことについては言及していません。

世界では毎日、4万人以上の子どもたちが飢え死にしているというのに、食料自給のできる国々は食料ではなく兵器の増産を選択しています。恥ずかしいことに、我々いわゆる「キリスト者」はこのような状況を放置しているのです。

イラク戦争の実態

イギリスの医学誌『ランセット』は、イラク侵攻以来、65万人のイラク市民が死亡したという信頼のおけるデータを報告しています。死者65万人と言いますのは、本当に心が張り裂けそうな数字です。しかも、この報告によりますと、死者の大部分が女性や子どもたちだとのことです。さらに過去二年間で八十万人以上のイラク人が爆破やその他紛争による重度の傷を負っているが、病院で何らかの医療を受けている者はその一割にも満たないということです。

この『ランセット』の2004年の調査結果に米英両政府は異常な速さで疑念を示しました。両政府によればイラク人の死亡者数はたったの「10万人」だということです。また両政府は、他の調査を利用して、イラク民間人の死亡者数を「15,000人」としました。しかし、この数字はどこからともなく引っ張り出されたものに違いありません。何故ならば、米英両政府とも、実際にそのようなデータを収集したとは認めてはいないからです。

アメリカのイラク侵攻に関する記事は、民間人の死亡についていつも無頓着である傾向にあります。ある軍人の話では、テロリストを乗せていると思われる数百台の車両を爆破したところ、実際には罪もない民間人しか乗っていなかったそうです。ナシリアでの血生臭い戦闘においては、米海軍は暴動を鎮圧するという名目で、民間人に向けて無差別に発砲しています。米英の両軍は、この「精密性に基づいた近代戦」は「史上最も人道的なもの」であると主張していますが、実際には、サダム・フセインを抹殺しようとして失敗した空爆で、数十人の罪なき民間人の命が失われています。『ランセット』によれば、昨年2005年度、米英連合軍が殺戮したイラク人の数は、あの恐ろしいファルージャ大攻撃を含んだ過去数年間の戦闘で亡くなったイラク人の数を大幅に上回っているとのことです。

軍事力は人々を圧迫している

日々兵器と弾薬に何十億ドルもの費用が費やされる巨大な軍事力は、人間性を破壊するには有効な手段でしょう。核の脅威も冷戦時代に比べると一層、現実味を帯びてきています。ジョージ・ブッシュ率いるアメリカ合衆国とトニー・ブレア率いるイギリスは、核兵力を増大させながら世界で一番の「いじめっ子」となっています。その行ないは後世に汚名を残すことでしょう。

ブッシュ氏は知らないのでしょうか。アメリカには4,500万人の飢えに苦しむ人がおり、そのうちの1,700万人は子どもたちであることを。また、イギリスでは住む家のない家族の数が昨年ついに十万世帯を超えてしまったことを。インドも核保有国ですが、その正確な数は把握し切れないものの、数百万人の人々が飢えています。そして、やはりそのほとんどが女性や子どもたちです。

北朝鮮も、数百万人の国民が飢えているのに、既に核兵器を開発し、最近核爆弾の実験も行いました。旧ソビエト連邦も、経済が破綻しながらも兵器に何十億ドルもの予算を費やし、その一方で3,500万人の人々が深刻な飢えに苦しんでいました。

“テロとの戦い”がもたらす逆効果

オサマ・ビン・ラディンは録画された映像の中で、自分のもくろみ以上にアメリカ経済を揺るがすことに成功したと豪語していました。彼に言わせれば、アメリカによるイラク戦争がもたらす効果は、アッラーの恩寵のおかげで「良好で莫大なもの」になっているとのことです。また、彼の予想をはるかに上回って、ブッシュ政権を挑発し、おびき出すことに成功した、と言っています。「アメリカの将官たちをそこへ駆けつけさせるためには、“アルカイーダ”と書かれたたった一枚の紙を掲げるために二人のムシャヒディン(イスラム戦士)を東方に送り込むだけで良い、そうすればアメリカは人的、経済的、政治的損失を被ることになる」とビン・ラディンは言うのです。

オサマ・ビン・ラディンは大喜びで血にまみれた両手をすり合わせているのかも知れません。結局こうしてビン・ラディンの思う壺にはまっているわけですから、ジョージ・ブッシュ率いるアメリカ政府とトニー・ブレア率いるイギリス政府、そして日本もその一員である有志連合には、イラクから人員を撤退させてほしいと私は願っています。日本の新しい首相にもそのように期待しております。

米英のイラク派兵は、ジハード(聖戦)の志願兵と多くのテロリスト集団を招く結果となっただけです。テロリストたちの残虐性はとどまるところを知りません。手頃な標的を誘拐して首をはね、そのぞっとする行為の一部始終を撮影するという卑劣さはコーランの教えに反するばかりか、良識あるすべてのイスラム教徒にとって受け入れられないものです。その卑劣な行為は、米英政府に何らの大義名分を与えるものでもありません。世界中の大多数の人々は、これらの残虐な行為を止めさせようという決意を強めているのです。先のイスラエル・レバノン紛争では2,000人以上の人々が殺され、その内の163人がイスラエル人でした。

私たちはいつ悲劇に終止符を打つのか

そして、依然として毎日40,000人の子どもたちが死んでいます。年間にすると1,400万人を超える子どもたちが死んでいる計算になります。これが現実なのです。6秒に1人のペースで、世界のどこかで子どもが飢えや予防可能な病気で死んでいるのです。数年にわたって私は、数学や統計学の分野で大変に優れた専門家たちの話に耳を傾けてきましたが、残念なことに今日みなさまに報告することのできる数字というのは、死や破壊という悲劇の数字だけしかありません。

今こそ、この耐え難い苦痛と死の状況を変えるべきです。今こそ、罪なき者を苦しめてきたことへの責任を諸政府に問うべきです。今こそ、創造主の名の下に――それが「神」であれ「アッラー」であれ「ブラフマン」であれ――殺戮や破壊を行なうことを止めるべきです。私たちの持つ人間性が私たち自身に求めているのは、この世界で日々繰り返される恐怖の行為を止めさせるべく勇気を振り絞り、全力をあげて立ち向かって行くことなのです。

私の夢を詩にしたためたものを聞いて下さい。

悲しみのない世界を夢に見ました
憎しみのない世界を夢に見ました
夢の中で世界は歓喜に満ちていました
目を覚ませばキリストは門の前にいたのです

飢えのない世界を夢に見ました
戦争のない世界を夢に見ました
夢の中で世界は愛に満ちていました
目を覚ませばアッラーは扉の前にいたのです

怒りのない世界を夢に見ました
自惚れのない世界を夢に見ました
夢の中で世界は慈悲に満ちていました
目を覚ませばブッダは私の横にいたのです

明日の世界を夢に見ました
全く別物の世界を夢に見ました
夢の中で世界は栄光に満ちていました
目を覚ませば創造主は心の中にいたのです

それでは最後になりますが、私が作成いたしました「世界子ども権利宣言」を読み上げることで結びに代えさせて頂きたいと思います。私たちはこの宣言を掲げることで、世界の未来を担う子どもたちというこの世で最も美しいものを損なわぬようにと、大いなる愛の力をもって各国政府に迫っていかなければなりません。

  • 我々世界中の子どもは、国連および各国政府の首脳レベルの場において、政治に関する我々の発言権が奪われてはならぬことを主張する。
  • 我々世界中の子どもは正義、平和、自由と共に暮らすこと、そして何よりも、我々に相応しい尊厳を要求する。
  • 我々世界中の子どもはマーシャルプラン、ジュネーブ条約の遵守、および、世界子ども人権裁判所の設立を要求する。同裁判所は、我々が自身のことに関する証言を行なうために定期的に開催されるものとする。
  • 我々世界中の子どもは、戦時において安全な避難所で保護される権利を要求する。
  • 我々世界中の子どもは飢餓、病気、強制労働、そして、我々に対してなされたいかなる虐待や搾取をも「戦争」と見なす。
  • 我々世界中の子どもはこれまで政治に対する発言権を与えられてこなかった。よって、我々はそのような発言権を要求する。
  • 我々世界中の子どもは自己のリーダーシップを育成し、平和と自由の中でいかに生きるかを政府に向かって示していく。
  • 我々世界中の子どもは、虐待や搾取をなす者に対して告げる。我々を苦しめたあなた方の責任を、我々は今日この日より追及してゆくであろう。

ディスカッション

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水本和実

以上のベティ・ウィリアムズ氏のご講演を受けまして、ダライ・ラマ法王からコメントを頂ければと思います。

ダライ・ラマ法王

ずいぶん長い間ベティ・ウィリアムズ氏を存じあげております。彼女は平和運動のために、特に子どもたちのために活動してこられました。これは人類の未来のためになさってきたことです。彼女の活動を促した純粋な動機は大変に素晴らしく、私はいつも彼女を尊敬しております。

あるインタビューで彼女は子どもたちや女性たち、罪のない人々が受けている苦しみについてお話しになり、カメラの前で涙を流しておられました。彼女の活動が単なる義務感から来るものではなく、心の底から彼らの苦しみを思っておられるのだと実感しました。彼女の生き方を手本にして努力するべきだと思います。

平和で慈悲に満ちた人間社会を築くには、私たちはまず自分の家庭から始めるべきだと思います。両親と3人の子どもからなる5人家族の場合であれば、五人全員が努力しなければなりません。平和や慈悲が空から降ってくることは決してないのです。まずは誰かがはじめなければなりません。それは個人の問題なのです。

世界平和というのは内なる平和から始まるものです。内なる平和は個人から始まるものです。今この会場には数百人の個人がおられます。そのすべての人が、世界をより良いものへと変える能力を持っています。時々、私たちは超人的な能力について語ることもありますが、そのようなものに期待してはいけません。

時にはそれがあまりにも大きなことに見えるため、「自分にはそのようなことに貢献するのは無理だ」と思うことがあるかも知れませんが、それは大きな間違いです。

私たちの一人ひとりが世界を変える能力を持っています。もちろん世界を変えることが、一夜にして達成できるわけではありません。それには何十年もかかるでしょう。また、私たちが生きている間に実現できないものもあるでしょう。私たち3人は、この先どれだけ生きられるか分かりません。きっとそれほど長くは生きていないでしょう。みなさま若い世代の人でさえ、生きている間に自分たちの夢を叶えることは無理かもしれないのです。あるいは、今世紀中にはそれは不可能かもしれません。とはいえ、努力は必ずしなければならないのです。

現実に目を向けますと、今この世界ではイラク問題やダルフール紛争といった問題が起きています。これらの問題は、私たちの過去の過ちが招いた結果起こっている症状だと言えるでしょう。その過ちや怠慢は私たちが20世紀から引きずってきたものです。中には19世紀にまで遡るものもあるでしょう。ということは、もし私たちがヴィジョンをもって今から努力を始めるならば、今世紀中に、あるいは、来世紀の初めには諸問題が解決されるかも知れないのです。しかし、もし私たちが現実の諸問題をなおざりにするならば、地球の人口はますます増加し、貧富の格差は拡大し、非常に厳しい状況が増大していくでしょう。さらにまた、ますます暴力が行使されるようになり、環境破壊も悪化をたどるでしょう。そして、数世紀の内に、地球全体が破滅に向かうかもしれないのです。「いっそのこと、全世界は破滅してしまった方がいいのじゃないか、そうすれば、もう何も心配する必要はないだろう」そう思うかも知れません。しかしこれはあまりにも愚かな考えです。私たちの住んでいるこの美しい世界は、持続した方が良いに決まっています。

何千もある哺乳類の一種である人間は、その発達した知性をもっているからこそ最も厄介な存在なのです。しかしながら、私たちはこの知性があるからこそ、自分たちだけではなく、全世界を守り、環境を守り、この地球上にいる何百万種もの生物を守る能力を具えているのです。他の動物たちにこのような能力はありません。なぜならば、動物には知性がないからです。けれども私たち人間には知性があります。

もし私たちの知性がやさしさによって導れ、より普遍的な責任感と自信を持って誠実な気持ちでこの課題に取り組むならば、知性とやさしさとが一体となることで、並外れた能力を具えることになるでしょう。私たちは無限の利他主義を育むことのできる唯一の種なのです。それは他の動物にはできません。「神」が無限の愛を具現できる存在であるとするならば、その次に私たち人間がいるのです。

私自身が抱いている夢は、ベティさんの夢とはすこし違ったものかも知れません。彼女の夢がすべて実現できるかどうかは分かりませんが、少なくともそのうちの幾つかは必ず実現しなくてはならないと思います。

その運動は個人的経験からはじまった
会場からの質問

ベティさんが北アイルランドで平和運動を起こそうと決意されたきっかけについて教えて下さい。

ベティ・ウィリアムズ

30年経ったいまでも決して忘れることはありません。30年前のある日、私はベルファストの路上で3人の子どもが殺されるのを目撃しました。マクガイアさんという方のご子息で、名前をジョン、ジョアン、アンドリューと言います。この三人の子どもたちが理不尽にも、ベルファストの路上で命を落とした現場を見たことがきっかけです。常々何かしなくてはと思っていたのですが、こうしたことから私自身の子どものことが脳裏に浮かび、とても恐ろしくなったのです。

会場からの質問

ご自身が女性であることは、活動の原動力になっっていますか。

ベティ・ウィリアムズ

この質問が大好きです。女性とはこの世に生命を授ける存在なのだと私は考えています。もし創造主が男性にその役割をお望みであったとしたら、男性に子宮を与えていたでしょうから。

しかし、賢明なる創造主は子宮を女性に与えました。私たち女性には心臓のすぐ下側に子宮があります。9ヶ月の妊娠期間の間、お腹の中で子どもを育て、生まれるまで大抵の女性はお腹の中の赤ん坊に深い愛情を感じるのです。

女性は男の子も産みますし、女の子も産みます。この世の悪を変えていくには、男も女も一緒になって協力しなければなりません。どちらか片方だけでは不可能なのです。私はいつも「性差別主義者」や「男性の敵」といったレッテルを貼られるのを恐れていますが、実はまったくその逆なのです。私はその命を救いたいと思うほどに、男性のことを愛しております。女性は子宮の保護者とならなければなりません。

平和とはまずは個人、家庭からはじまる
会場からの質問

ベティさんにとって平和とは何ですか。

ベティ・ウィリアムズ

平和とは自分からはじまるものです。人間ならば誰しも、時には暴力的になってしまうものでしょうし、特に私はそうです。子どもたちが傷つけられるのを見ると、とても腹が立ちます。しかしそこで私は毎瞬間、自分と格闘します。怒りを破壊的な行為へと向けるのではなく、ポジティヴな感情へと転換しようとしています。怒りは意味があることのために使わなくてはなりません。

また、平和とは家庭から始まるものです。今日ここで平和についてお話ししておりますが、もし私自身の家庭が平和でないのなら、ここにいる資格がないでしょうし、ただの偽善者になってしまうでしょう。私は世界平和を訴えるためには、それに先立って自己の平和と家庭の平和を実現しなければならないと考えております。

会場からの質問

調和の取れた子どもを育てる秘訣を教えて下さい。

ベティ・ウィリアムズ

母親としての個人的な経験に基づいてお話ししましょう。

息子のポールがある年齢になった頃、人からよく「男の子なのだから泣いてはいけない」と言われていました。つまり、泣くのは男らしくないというのです。よくも子どもに向かってこんなことが言えたものです。一体どうして男の子は泣いてはいけなくて、女の子は泣いても構わないのでしょうか。このような決まりは古めかしく、馬鹿げています。ですから私は息子にこう言い続けてきました。「男だって涙を流すものよ。人に涙を見られるのを恐れてはいけません。真の男は涙を流すのだから」と。

今では息子の嫁と二人で笑い話にしているのですが、ポールが悲しい映画をテレビで観ていると、彼女は「ポールは今に泣き出すから」と言って夫のためにティッシュを取りに行っています。彼はいまは大変素晴らしい父親です。自分の息子に「泣いても良いんだよ」と言うことができる立派な父親です。

女性のみなさま、ご家庭で自分の息子をどのように扱うのかというのは大切なことです。調和の取れた男性に育てるためには、感情も含めてあらゆる感性を育成しなくてはなりません。特に男の子にとって、感情を表に出すことが許されるということは非常に大切だと思います。

平和と正義、そして祈り
会場からの質問

平和を実現するために「正義」は本当に必要なのでしょうか。

ベティ・ウィリアムズ

「正義」のためでなければ「平和」のための活動はあり得ません。「平和」のためでなければ「正義」の活動はあり得ません。両者は相即不離の関係にあるのです。従いまして、私たちの心の中に「正義」と慈悲が共になければ、「平和」を実現することはできません。

会場からの質問

平和を願い祈ることはありますか。また祈りによってご自身の行動が促されたという経験はありますか。

ベティ・ウィリアムズ

聖歌を歌い祈ることで、自分の心のなかに深い信仰が芽生える時があります。ダライ・ラマ法王のことを賛美する時には、自分が心のどこかで仏教徒になっているように感じます。また、私は聖母マリアを愛していますから、ある時にはロザリオを繰って彼女に祈りを捧げています。私にとって、聖母マリアは子どもを産んだひとりの「母親」です。

さらに、このような仕事をしておりますので、物事の全体を見通しておく必要があります。ですから私はしょちゅう自分の仕事のことで祈っています。何か問題があれば鏡の前に行き、鏡の中の自分を見つめるようにしています。多くの場合、問題は私自身にあります。そのようにいつも自分を見つめ直すことで、仕事に自分のエゴを入れないようにしています。といいますのも子どもたちにはエゴはないからです。

こうしたことを考えますと、きっと私はスピリチュアルな人間なのでしょう。だからと言って、私のことをホリー・ローラーなどと思って欲しくありません。あまりにも「神聖」な人々は「脅威」ですらあります。私にはそういったキリスト教再生派の類いの人たちが怖いのです。ですから、私は宗教原理主義とは別の意味で、深い精神性を持った人間だということはできると思います。夜寝る前や朝目覚めた時に、祈りを欠かすことはありません。祈りは私の生活の大きな部分を占めています。

そして、ここで聴衆のみなさまに一つお願いがあります。もしみなさまのなかに祈りを捧げる習慣をお持ちの方が居られれば、私たちノーベル平和賞受賞者の一人でもある、アウンサンスーチーさんがなるべくはやく解放されますように、どうか祈って下さい。どうぞよろしくお願いします。

会場からの質問

今後の活動方針についてお聞かせ下さい。

ベティ・ウィリアムズ

三年ほど前イタリアで、当時のベルルスコーニ首相が、バシリカータ州にある美しい土地を核廃棄物処理場にと計画していました。これに対して何十万人もの地域住民が立ち上がりました。私たちもそれに賛同して加わりました。経緯は省略しますが、最終的に私たちはその土地を入手することになりました。そして、核廃棄物処理場の代わりに、ダライ・ラマ法王を記念した「子どものための平和都市」を建設することになったのです。

つい最近になって、ようやくその実現が確実なものとなりました。いまは美しい修道院を建設中で、配管や照明を設置している所です。この施設は代表団を受け入れる際に使用しようと考えています。そうすれば高額のホテル代がかからずに済みます。また、これを私たちの団体の本部事務所としても使用するつもりです。

私たちは手始めとしてイタリアにモデルを建設しましたが、これと同じものを世界中に建設したいと思っています。しかし、まずは模範となる原型をきちんと作り、その際に発生する問題をすべて解決してからです。これにつきまして詳細な情報を望まれる方は、私たちのウェブサイト(www.wccci.org)をご覧下さい。

子どもたちは恐怖の時代を生きている
会場からの質問

近年では核戦争の脅威がますます高まっておりますが、核兵器の恐怖やいまの恐ろしい時代の現実をどのようにして子どもたちに教えたらよいのでしょうか。現実を教えれば、子どもたちは未来への希望を失わないでしょうか。

ベティ・ウィリアムズ

子どもたちに真実を教え込むのは難しいことですし、それにおびえないように教育するのも難しいことです。なぜなら、彼らが核時代という恐怖の世界に暮らしているのは間違いない事実だからです。

私の子どもたちはテロリズムの中で成長しました。その当時、北アイルランドにはテロリスト組織によるテロだけでなく、イギリス軍による合法的なテロもありました。私はどうにか無事に暮らすことができましたが、夜中になると爆弾が爆発し、弾丸が宙を飛ぶのが常でした。子どもを町へ連れて行くのはとても危険なことでした。

ある日、私が娘を連れて町へ出掛けた時に爆発が起こりました。私は幼ない娘の手を引いて誘導された方向へ逃げたのですが、ちょうど壁にぶつかってしまいました。そこで娘の顏を見ると、鼻が血まみれになっているのに気付きました。その時は私自身も極度の恐怖を味わっていましたが、だからと言って、もしも私が萎縮してしまい娘を怯えさせたら、娘に恐怖を教え込んでしまう結果となったでしょう。ですから、私は出来るだけ平静を保つようにし、娘に恐怖心を与えないようにしました。いま私たちが子どもたちのために出来るのは、そんなことではないかと思います。

子どもを怖がらせない方法なんて私には分かりません。子どもたちは、実際に恐怖の時代を生きているのです。もし出来るとすれば、勇気を教え込むことでしょうか。恐怖は伝染しやすいものですが、勇気もまた非常に伝染しやすいものです。子どもたちに勇気を教えてやって下さい。

戦争状態のなかで子育てをした経験を振り返ってみますと、私は子どもたちを調和の取れた人間に育てるように心掛けました。それは母親である私自身が常に落ち着いていなければ不可能なことです。私の場合に限って言えば、そのように心掛けたことで上手くいったのではないかと思います。自分の経験に基づいて言うことしか出来ませんが、このような意識をもって子育てをすれば、自然と勇気を持った大人に成長するのではないでしょうか。

何も特別なことは必要ではない
会場からの質問

ダライ・ラマ法王にお尋ねしますが、法王の魅力のひとつでもある、その謙虚さは一体どこから来るものなのでしょうか。

ダライ・ラマ法王

地位というのは、単に名付けられただけのものに過ぎません。基本的には聴衆のみなさんもこの私も、精神と感情と肉体を持つ同じ人間です。

もちろん輪廻転生を認める仏教徒の観点からすれば、私たちはそれぞれ異なった過去世からの影響力の下にいまここに生まれていると言えます。私の場合ですと、私の過去世であるダライ・ラマ五世や古代インドの思想家たちと深い縁があります。ですが、今はこのような精神的な問題を議論する場ではないと思います。

大切なことは、実際は我々はみな同じ人間だということです。「ダライ・ラマ」は単なる肩書きです。それは呼び名に過ぎないのです。「ノーベル平和賞受賞者」にしても、それは単なる呼び名に過ぎません。私たちは基本的に同じ人間なのです。

ベティ・ウィリアムズ

これは私がいつも申し上げていることなのですが、この世には有名人がいるのではなく、有名人と思われている人たちがいるだけなのです。

ダライ・ラマ法王

まさしくその通りですね。大切なことは、名前や地位ではなく、日頃どのような行ないをしているかなのです。

水本和実

では、最後に広島へのメッセージを語ってください。

ベティ・ウィリアムズ

今日ダライ・ラマ法王、ツツ大主教と昼食を一緒にさせていただきました。法王は、私たちに広島がこれまで味わってきた苦しみについてお話し下さいました。

ホテルの部屋からは、実際に原爆が落とされた場所が見えています。この広島は最も平和を愛する街に生まれ変わったのです。広島の人々は怒っていたでしょうか。いいえ、決してそうではありません。広島は偉大なことを成し遂げたのです。広島は大いなる世界平和の中心地になったのです。ここでは世界のどの都市よりも国際会議が開催されているのです。

苦難を潜り抜けてきた広島のみなさまへの私からのメッセージは、「どうか変わらないで下さい」というものです。広島の人々はここに平和の中心地を築くことにより、“罪の赦し”とは何なのかを世界に示してこられたのです。そんなみなさまと私を引き合わせて下さった神に感謝しています。広島のみなさま、どうかこのまま変わることなく続けて下さい、みなさまは、“赦し”とは何かを世界に示した模範です。

水本和実

素晴らしいメッセージをありがとうございました。地球の将来を担う子どもたちが宗教、民族、文化、貧富の差によって暴力、差別、人権侵害など受けてはならないこと、また、そうした子どもたちが家族の愛情を受けながら健やかに育っていける世界を実現するために、私たちは努力すべきだと痛感します。

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