仏世尊説甚深縁起讚 善説心髄


作成日: 2016-09-18 最終更新日: 2016-09-19 作成:野村 正次郎

ナモー・グル・マンジュゴーシャーヤ

彼はそれを眼の当たりにし説かれた
無上の智者 無上の教主である
彼の勝者 縁起を知りそれを説く者
この御方に私は頂礼せん

すべての世間を破滅させるもの
それはすべて無明を根源とする
それを見ることで退け得るもの
この縁起を説かれたのである

しかるに 智慧の有る者なら
縁起というこの道こそが
君の教説の枢要であると
解さないことがあるだろうか

このようであるから護主たる君を
讃嘆するための門として
どんな者でも縁起を説かれた
このこと以外に何を見出せようか

何であれ縁に依存しているもの
それらは本性に関して空である
説かれているこれよりも稀有なる
善き教授の方法など一体何があろうか

愚童たちがそれを捉えるなら
辺執の束縛を固くするのみである
賢こき者たちには戯論の網を
残りなく断ちきるための門である

この教説は他の者には見ることができない
教主と呼ぶに値するのは君だけなのである
あたかも狐たちを獅子と呼ぶかのように
他のものたちにはこの名は世辞に過ぎない

嗚呼 教主よ 嗚呼 救世者よ
嗚呼 最勝なる語り手よ 嗚呼 護主よ
縁起という善説を説かれたこの御方
教主よ 私は君を頂礼せん

利行を為す君は衆生たちを
癒すためにこそ説き給われた
教説の核心たる空性を確定する
そのための比類なき根拠を

縁起の真実は
対立しており不成立であると
そう見る者が君の密意を
一体どうして解せようか

君が空性を見る時には
縁起の意味で見るだろう
自性に関しては空でありつつも
作用を為し得ることには矛盾はない

これに逆転して見るのならば
空である限りは作用は不可能であり
作用を為せば空は無であることになり
断崖の底へと落ちてしまうだろう

それ故に君の説かれた教説において
縁起を見ることは善しと称えられる
それはまた何も全く無いことでもなく
本性によって有るからではない

依存しないものは空華の如くである
それ故何にも依らぬものは存在しない
それ自体で成立しているのならば
その成立が因縁に依るのは矛盾する

このことからも縁起しているもの
それ以外の如何なる法も存在しない
自性によっては空であるもの以外に
如何なる法も存在しないと説かれる

諸法に何らかの自性が有るのならば
自性を退けることなどできないので
涅槃を実現することは不可能となり
戯論寂滅もまた無いと説かれている

それ故に諸々の自性からは離れている
この獅子のことばを何度も繰り返し
賢者の群れに善く説かれたこのことに
一体誰が肩を並べることができようか

如何なる自性も存在していないことと
何らかのものに依存して起こること
この正しく一切を規定する両者こそが
矛盾なく両立することはいうまでもない

依存して起こるというこの根拠によって
辺見に依るべきでないというこのことを
正しく説かれた護り主たる君だからこそ
無上なる語り手と謂える因なのである

すべてはそれ自体では空である
これからこの結果が生じている
この二つの確定はそれぞれが
互いに損なわず補助しあっている

一体これよりも驚嘆すべきものがあるのだろうか
一体これよりも貴く希有なるものがあるのだろか
そしてそののことによって君を讃嘆するからこそ
讃嘆となるのであって それ以外ではないのである

漆黒の闇に囚われていることで
君に敵対しようとする者たちが
自性が無いというこのことばに
耐えられないのも無理はない

君の教えに愛蔵されている
縁起の教えをまもりながら
空性の獅子吼に耐えられない者
そのような者を私は不思議に思う

無自性へと導いてゆく門である
この無上なる縁起の名を聞いて
自性が有ると捉えるのならば
さてこの者は一体何をしようというのか

勝れた聖者たちが善く赴かれた
他には比べられないこの桟橋の
君を歓喜させる賢きこの道へと
どのような方法で導くべきなのだろう

無作為で何にも依存しない自性と
作為された依存している縁起とを
一体どのようにすれば同じ基体で
矛盾なく成立させられるだろうか

それ故に縁起しているものは何であれ
自性に関しては本初よりこのかた空である
然れどもそれとして顕現するが故にこそ
すべては幻の如しと説かれているのである

君が説かれた教説はどのように
如何なる反論を投げ掛けるとも
それが当てはまる隙を見出せない
このことにより善く怯えさせる

何のために説かれたのかと言えば
見えるものと見えないものに対し
増益し損減しているその理解を
永久に遠ざけるためなのである

君の語り口が比類なきことを
証明する論拠たる縁起という
この道それ自体により他の話も
量たるものだと確定が起こるだろう

如実に観じて善く説かれている
君の教えに従う者ならば
すべての破滅から遠く離れるだろう
すべての過失の根を断つからである

君の教えに背を向けて
どれほど努力しようとも
自ら過失を集める如くであろう
我見を固めるに過ぎないからである

嗚呼 賢者によってこの両者の
差異への理解が示される時
その時全身の骨の内部から
君をどうして敬わぬことがあろうか

君は多くのことを説かれたが
そのほんの僅かの各々の意味だけに
ただ何となく覚束ない確信をし
それを最勝なる楽の源とするのか

何たることか 我が心は痴に破れ
斯くの如き功徳溢れる集蘊を
永くも帰依処としながらも
その功徳の一部も知らなかったとは

それでも死神が口を開けて
いまだ命が途絶えてしまう前に
君を少し信解できるようになった
このことは賢劫だったと思えてくる

教主のなかでも縁起の教主であること
智慧のなかでも縁起の智慧であること
この二つは世界の覇者たる帝王の如く
群を抜き善く知る者は君であり他ではない

君が説かれたそのすべてのものが
縁起に関連しそれを意味している
それも涅槃させるためのものであり
寂静へ至らしめぬものなど君には無い

嗚呼 君が説かれたことが
傾けられた耳の道へと入ってゆき
彼らすべてを寂静へと導いてゆくだろうから
君の教えを護る者に敬わない者がいようか

あらゆる論難を打ち破り
先後対立することも空しくし
九生の二利を齎すものである
この教説に私は歓喜を覚える

このことのために 君は
時には御身をも 他のためには命をも
愛おしい親族をも 財産のすべてをも
無数の劫において何度も捨て給われた

その功徳を見ることで
釣針に囚われた魚の如く
君の御心が導かれ説かれたこの法を
君から聞けなかったこの劣劫よ

その悼みの悲しみの力で
愛した我が子のために
母親の心が従うように
我が心も行き場を失う

ここで君の言葉に思い馳せる時
君の相好の栄華は燃え盛るだろう
放たれた光明の網はすべてを囲繞し
彼の教主の梵音の旋律を奏でるだろう

これはこの如しと説かれたと思うなら
心に映されたその影像が現れるだけで
燃え盛る焔のなかに悶えてしまった
すべての苦しみを月光の如く癒すだろう

このように殊勝にして
善きこの教義に通じぬ者が
細かい雑草を茂らせる如く
如何なる時も混乱させてきた

この状態を見つめた後
私は多くの努力を重ねて
賢者を追従して君の密意を
繰り返し探求してきたのである

そして自派と他派との
多くの典籍を学べば学ぶ程
より一層疑念の網に囚われて
私の心は常に悶えていた

しかし君の無上なる乗の次第を
有と無の辺を断じることで
如実に釈すると授記された
龍樹の典籍というクムダの花園に

無垢に知る智の曼荼羅は拡げられ
教説の天空は遮られず動きだした
辺執という心の闇は取り除かれる
悪しき語り手の星雲を圧倒する

吉祥なるチャンドラの善き説の
澄明なる白光の環は照らされて
ラマの慈恩によって見えた時
私の心も休息を得たのであった

すべての活動のなかでも
説法の業こそ最勝のものである
そのなかでもまさにこれこそによってこそ
賢者はここから仏陀を追想すべきなのである

彼の教主に従い出離しながらも
勝者の教説を学ぶことに乏しくなく
瑜伽行に励もうと精進する比丘は
大仙たる彼をこのように敬服する

無上なる教主の教法に
出会えたこれも師の恩恵であるので
この善がまた残りなき衆生たちが
勝れた善知識に摂取される因たらんよう廻向する

利益を為すこの教説を最期有に
悪見の風邪に靡くこともなく
教説の思索を巡らせ教主への
信心を得て常に満たされんことを

縁って起こる実義を明らかにし給へる
牟尼の賢き教法に如何なる生を受けるとも
身体と命を抛つとも護持することに
刹那たりとも緩みなくならんことを

この最勝の導師が無量の苦行によって
一所懸命に成就し給へるこの教説を
如何なる方便によっても増大するような
考察によって昼夜を過すことできるように

清浄なる意楽でこの理趣へと励むなら
梵天や帝釈や世間の守護尊たちと
大黒天などの護法尊たちによっても
見放されずに常に支援されんことを

以上、仏世尊一切世間の大善知識たる無上なる釈尊に対して甚深なる縁起を説かれたことを通じての讃嘆・善説心髄というこは多聞の比丘ロサンタクペーペルがヒマラヤ地域の雪山の王者たるオデグンゲルのラショル寂静処レーディン、別名ナムパルゲルウェーリンにて識したものである。