2015.07.30

平和のための祈りのことば: 逆縁を善資へと変えるために

PeacePrayer2015

  • 【平和のための祈りの集い】
  • 日時:2015年8月5日(水)19:00 – 20:15
  • 会場:世界平和記念聖堂(広島市中区幟町4−42)

2015年8月5日にカトリック、プロテスタント、日本聖公会と合同で行われる平和のための祈りの集いに向けて、平和を考えるための祈りの言葉をゲシェー・ケルサン・ワンドゥ師がチョイスしました。

私だけが私の主人である。他の誰が主人となれるだろうか。
私を善く整えることで、賢者は上界を得ることになるだろう。
私だけが私の主人である。私だけが私の敵でもある。
善悪のいづれを為すのか。 私だけが審判なのである。Udānavarga, XXIII

被害を受けて加害者を怨んでも、その憎悪が被害の事実を消滅させることが出来ようか。
それゆえ、加害者を怨むのは必ず無意味であり、来世の目的にも矛盾するだろう。
過去に為した不善の果を消滅させたいというその限り
復讐や怨恨によって未来に苦しむ種子を招いて一体どうするというのだろう。
菩薩たちを怨むこと、それは布施・戒より起こる百劫の積善を瞬ちに破壊する。
だからこそ忍辱をしないということより大きな罪業は存在しない。
憎悪は姿を醜くくさせ、悪へと堕落させ、正邪を分別する知性を害する。
瞬時に悪趣へと墜落させるもの、それが忍耐をしないことである。Madhyamakāvatāra III

私は他者の苦しみを取り除こう 彼らが苦しむ如く私も苦しむ
私は他者を利益しよう 彼らに心があるように我が身も同じである
私も他者も苦しみたくないのは等しい 私と彼らにどこに区別があるのだろう
これは他者のことなのではなく 自らを守ることなのである  Bodhicayāvatāra XI

この広大なる世間のすべての国に、一人たりとも〝破滅〟の名すら起こることなく、
この輪廻と涅槃のすべての望みを享受し 常に吉祥の海によって荘厳されんことを。

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