作成日: 2010-01-11 最終更新日: 2016-09-23 作成:事務局

E6 法眼が長きにわたって存続するように想う

このような教えを聴聞したことに基づいて「勝者の教えが世間においていつまでも存続しますように」と思うことである。

さらにまた、教えを説く時や教えを聴聞する時に、自己の〔心の〕相続を一方に置き、教えを他方に置いて話をする〔というようにして、仏教の教えを自分自身とは無関係のものと捉える〕ならば、そのようなことをしたところで何の意味もない。それゆえ、自己の〔心の〕相続を確固としたものにするために聴聞することが必要である。例えば顔面にごみなどの汚れがついているか否か調べたい時には、鏡を見て確かめ、汚れを取るであろう。これと同様に、自己の間違った行ないもまた、教えを聴聞すれば、教えという鏡に映るのである。そして、その時「私の〔心の〕相続はこのような有り様になってしまった」と考えて心悲しく思い、次に欠点を取り除き、美質を育むことに邁進して、教えに従った学習をするべきである。『ジャータカ』の中に説かれている通りである。すなわち、スダーサの子がチャンドラ菩薩に教えを説いて下さいとお願いする場面で、

私の悪行の醜態が教えという鏡にはっきりと映るのを見ると心が悲しくなる。私は教えに向き合うことにしよう。」

と述べると、〔チャンドラ〕菩薩は彼の心が教えを聴聞するのに相応しい器となったことをお知りになり、教えをお説きになったのである。

要約すれば「私は一切衆生のために仏陀〔の境地〕を得ることにしよう。それを得るためには、それの要因〔である仏教〕を学ばなければならない。そのためには教えを聴聞する必要があるであろうから、教えを聴聞することにしよう」という思いで菩提心を起こし、聴聞の功徳を思い起こし、喜び勇んで〔教えを聴聞する人の〕器の過失を断じることなどをして聴聞するべきである。