I3 止観とは何か


Created: 2012-01-30 Last updated: 2016-09-23 Author:事務局

まず止(奢摩他)とは一体何かといえば『解深密経』では次のように説かれている。

彼はひとり静かな場所にいて、内に正しく置き、如実に善く思う法に心を巡らせて、その心で作意したその同じものを作意し、その作為した心でその心の内に継続して作意するのである。このように向き合って、そのものに何度も住している彼には、身軽安と心軽安が起こっている。これが「止」と呼ばれるものである。

この意味されているものは、心が他のものへと散乱することなく、継続的に作意することで、心が所縁に対して任運に住しており、心身軽安という歓楽が起こっている時、その禅定は止となるということである。これは心が所縁から散乱することなく、内部で保持しているだけで生じてくるのであって、事物の実義を理解していることには依っているわけではない。

観とは一体何かといえば、『同経』で次のように説かれている。

彼は身軽安および心軽安というこれを得た後に、その同じものに住し、心の形象を断じその後に、思惟している法が思惟しているその通りに内に禅定が行じている対象を影像として観察し勝解する。このように禅定の行じている対象たるそれらの影像に対して、その所知の対象物を思択し、最極思択し、周遍思択し、忍し、楽し、慧し、見て、観じているもの、それが観と呼ばれるのである。このように菩薩は観に通じるのである。

(以下作業中)