作成日: 2011-07-15 最終更新日: 2016-09-23 作成:事務局

【C2 場所の違いから必要ないという誤解の否定】

(5a1)

他説の提示

 これら七部よりなる典籍は、異教徒を否定するだけのために必要なので、彼等がいない場所で〔その典籍を〕聴聞し、思惟するといったことは必要ない。

(答え)

 これも、法を断ずる大きな誤解である。それもすなわち、前世と来世が存在しないので善をなし悪を慎むことが無意味であること、解脱と一切知者は存在しないのでそれ(解脱と一切知者になること)を成就するために道に勤めることは無意味であること、また、蘊を浄楽常我と見ることなどといった増益〔辺〕と損減辺すべてを否定させる方便を詳細にこれら〔正しい認識に関する〕テキストは確定している。よって、異教徒のいない場所で、自己の相続における増益を排除しなければならないか否か、無常、苦、空、無我などを理解する知を生み出さなければならないか否か、前世と来世の有無、原因と結果との結合関係、解脱と一切知者が存在するという確定知を導出しなければならないか否かをよくよく考えてみなさい。

 従って、後天的な増益が否定されないならば、見道によって断じられるものを捨て去る方便はないが、その後天的な増益とは学説論者によって仮設された増益である。それ故に、〔ディグナーガとダルマキールティは〕これら〔正しい認識に関する〕テキストで後天的な増益を否定しようと望んで異教徒の主張に対する否定を示しているのである。〔単に〕異教徒と論争しようという思いだけから〔他説の〕否定と〔自説の〕確立に関する設定をなしているのではない。