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MMBA.jpプロフィール
文殊師利大乗仏教会では常時デプン・ゴマン学堂
より厳選されたスタッフを迎えて活動しています。
1948年インド北部のザンスカールに生まれる。1963年にザンスカールのトンデ寺院にて出家、僧名は「ロサン・イクニェン」と名付けられる。法要や儀軌などをすべて暗記し学習した。「経頭」を1年間務めた。1973年より深く仏教の教義を学ぶために、南インドのゴマン学堂へ移りガリー学寮に入る。ケンスル・テンパ・ゲルツェン師(文殊師利大乗仏教会会長・現在日本在住)に師事する。論理学・般若経学などを治める。1980年よりはゴマン学堂の事務局にて、小中学校の運営業務・学堂付設の裁縫工場長などを担当した。1999年よりゴマン学堂財務部長に就任し、新本堂落慶のための業務に従事した。ゴマン学堂護法堂にて「経頭」を務めたこともあり、学問にも各種の業務にも長け、「ゲシェー・ドランパ」(仏教博士・課程)の学位も取得している。
1960年インド/ザンスカール村に生まれる。1974年、ゲンギャウ師の弟子となり、デプン・ゴマン学堂ガリー学寮に入る。1986年 ダライ・ラマ十四世より具足戒を受ける。1986年〜1994年 デプン・ゴマン学堂にてゲシェー・ヨンテン・ダムチュー師に師事して伝統教学課程(仏教論理学・般若学・中観学・阿毘達磨学・戒律学)を終了する。1994年、ゲルク派伝統教学保存協会のゲルク派博士課程を終了し、「ゲシェー・ラランパ」の称号を得る。1993年1月 ギュトゥー密教学堂にて密教の基礎課程を学び、修了する。1999年1月〜チャンツェ法リゾン・リンポチェの命により、ラダックのタルドゥー・チューリンにて教鞭をとる。2008年7月末日本にはじめて来日する。
チベット、カム地方のパルワルに生まれる。インドに亡命し、デプン・ゴマン学堂グンル学寮に入る。2006年までデプン・ゴマン学堂にてゲシェー・ヨンテン・ダムチュー師に師事して伝統教学課程(仏教論理学・般若学・中観学・阿毘達磨学・戒律学)を終了する。2007年1月 ゲルク派伝統教学保存協会のゲルク派博士課程を終了し、「ゲシェー・ラランパ」の称号を得る。2007年1月〜12月 ギュメー密教学堂にて密教の基礎課程を学び、修了する。
1969年チベットのリタンに生まれる。13歳までは家庭の事情で家の仕事の手伝いをして暮らす。16歳のときリタン僧院にて出家し、読み書きから僧侶としての基本を学んだ。1994年より深く仏教の教義を極めるために、南インドに亡命し、ゴマン学堂のハルドン学寮に入り、論理学・般若経学・中観学・倶舎学を学ぶ。顕教の課程を終えた後、ギュメー密教学院の僧侶とともに、砂曼荼羅の作成を学ぶ。1999年〜2002年にはゴマン学堂財務部にて、新本堂の落慶のための仕事に従事する。
ロサン・プンツォへのインタビュー(1)
1975年チベットのアムドに遊牧民の子として生まれる。17歳のとき出家し、ルツァン寺に入る。1999年インドに亡命し、亡命し、デプン・ゴマン学堂ルンブム学寮に入る。デプン・ゴマン学堂で発行している季刊誌「ドゥムラ」をはじめ、インドの亡命チベット人社会にて発行されている雑誌や新聞などの挿絵を数多く描きイラストレーターとしても活躍する。1985年からデプン・ゴマン学堂にあるルンブム学寮の依頼により、1年間北インドダラムサラに設置されているノルブリンカ・インスティテュートへ派遣され、伝統的な仏画を描くための仏師としての修行をしながら、イラストレーターとしても活躍する。2000年より3年間はデプン・ゴマン学堂新本堂壁画制作委員会に入り、アートディレクターとして活躍しつつ、デプン・ゴマン学堂新本堂の壁画ならびにデザインを担当する。2004年来日し、大聖院弥勒殿の天井絵・壁画のアートディレクションならびに制作を行ない、浄土寺、善通寺では砂曼荼羅の製作も御こなた。2007年はルンブム学寮より半年間イギリスに派遣され、砂曼荼羅の製作などのディレクションを行なう。2008年秋、再び来日し現在に至る。