2010.03.20

群衆の中では言葉を検討すべきであり、独り在るのならば心を検討すべきである

先日、インドのゴマン学堂に巡拝の旅に行って参りました。久々に弊会会長ケンスル・リンポチェにお会いして、説法会の通訳をさせていただきました。ケンスル・リンポチェに簡単なチベット仏教のお話をしてくださいとお願いしたら、アティシャのこのテキストを再びみなさんに説きたいということで、『菩薩たちの宝の環』の伝授をしてくださいました。

このテキストをリンポチェはダライ・ラマ法王から教えていただいたそうですが、このテキストのなかで最も重要な部分は最後のこの一言だとのことです。

群衆の中に在っては言葉を検討すべきであり
独り在るのならば心を検討すべきである。

『菩薩たちの宝の環』>は日本でも何度もケンスル・リンポチェが教えたテキストですが、リンポチェはこういったテキストを毎日読んでその実践のために想いを巡らしておられます。リンポチェは「論理学であれ、中観学であれ、般若学であれ、仏教のテキストで実践に関係ないものはなにもありません。すべては釈尊がすべきこととやめるべきことを説かれたものなのです」そうおっしゃっています。

私たちは日頃さまざまな言葉を使ったり、さまざまなことを思ったりしますが、仏教的な生き方とはまさに日本別院の僧侶のみなさんのように、人と交わるときには言葉すくなく、やさしい言葉を使い、自ら独りで心をみつめて、より深い慈悲心や空への理解へと想いを巡らす、まさにこの生き方につきるのではないでしょうか。

多くの仏典を暗記し、毎日のように非常に難しい密教の瞑想などをなされたケンスル・リンポチェが私たちに伝えたかったことは、こういうシンプルではあるが、実践することが極めて難しい教えです。

ゴマン学堂では毎朝、僧侶のみなさんが経典を暗記する声で目が覚めます。10年以上前にはじめてゴマン学堂を訪れたときに、この彼らの世界を何とか日本に紹介したいものだと思ったものです。

「釈尊の教えを実践するということはそう簡単なことではない」そうケンスル・リンポチェはおっしゃっていました。現在その説法会のビデオも編集しておりますので、どうぞ楽しみにしておいてください。


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