2009.08.17

仏教基礎学

ドゥダとは何か

「ドゥダ(bsdus grwa)」とはゲルク派の学僧が日常の読経経典などの学習を終えた後で学習する書物の総称である。仏教を論理的に理解するための基礎学となるものであり、仏教の基本的な概念体系を纏めたものである。ドゥダという呼び名の由来には様々あるが、ゴマンケンスルリンポチェ・テンパゲルツェン師の教えによれば、もともと寺院の外壁(ra wa)を御坊さんが座ってその周りを問答をする御坊さんが回ってゆくことを(grwa skor)と呼び、そのようなラ(ra)が訛ってダ(grwa)となり、そのような問答のドゥパ(まとめ)を「ドゥダ」と呼ぶようになったのである。つまり「壁のところでやっていた問答を纏めたもの」というような意味となる。

ドゥダの根本起源

ドゥダの起源は釈尊まで遡ることが出来る。釈尊は

比丘たちよ、巧みな者とは焼いたり削ったり磨くことによって、はじめてそれが金であることを知るものである。同様に、わたしの言葉も、正しく考察することによってはじめて、護るということになるのであって、単に敬うことからなのではない。

と、釈尊自身の教えを個々の人物が検討する必要があることを説いている。釈尊の教義は決して無批判に尊敬してはならず、論理的に考証し、それで正しいと思ったらそれを受け入れる必要があるということである。その際にそれを考証する手段が「正理」とか「道理」と呼ばれるものである。ドゥダはこの正理とか道理と呼ばれるものの道へと続く門を開ける「鍵」に位置するものであり、その鍵を得ることで、その道が初めて開けてくるのである。

ドゥダの効果

ドゥダを学習の初めに文殊菩薩に祈願したり、問答の初めに「ディー・チュータンチューチェン」と文殊菩薩の真言を叫ぶように、ドゥダを学習すると無明の闇が払拭されるといわれている。そして、仏教の思想体系を学習する際にもいい加減な理解を払拭できるようになるのである。ドゥダと文殊菩薩との関係が非常に深いのもこのような背景があるからである。

ディグナーガ(陳那じんな)

仏教において問答法や論理学が整理されたのはディグナーガの出現があったからである。ディグナーガは『集量論』(じゅりょうろん)と呼ばれる論理学の根本テキストを書いた。『集量論』は不幸にして漢訳には残されなかったが、彼の影響を受けたダルマパーラ(護法ごほう)の思想を纏めた『成唯識論』は三蔵法師玄奘が漢訳にしたことや、ディグナーガの小さな論理学書は日本にも伝わり、特に奈良時代・平安時代の仏教の「論義」(ろんぎ=経典の意味を論じること)の基礎となった。ディグナーガの出現により、仏教は極めて論理的に整理されたものとなり、またさまざまな新しい理論が導入されたのである。ディグナーガは釈尊が「量となられた方」(つまり妥当な認識手段となられた方であること)を論証し、ニヤーヤ学派やミーマンサー学派の仏教に対する批判を覆したのである。彼自身はアサンガの流れを汲む唯識派であったと言われている。

ダルマキールティ(法称 ほっしょう)

ディグナーガの弟子の弟子がダルマキールティである。ダルマキールティはディグナーガの説いた論理学があまり理解されていなかったのを嘆き『集量論』に対する註釈『量評釈』を書いた。ジターリによれば、彼自身は普賢菩薩の化身で中観自立派だったが、衆生のために経量部と唯識派の共通した教えや唯識派独自の教えを説いたと言われている。彼の著書は「量七部」(sde bdun)とよばれ、

  • 詳しい根本の論『量評釈』(Pramanavarttika)
  • 中くらいのもの『量決択』(Pramanavinishchaya)
  • まとめたもの『正理滴』(Nyayabindu)
  • 『結合関係の考察』(Sambandhapariikshaa)
  • 『論証因滴』(Hetubindu)
  • 『問答における正理』(Vadanyaya)
  • 『他相続の証明』(Samtantarasiddhi)

という七つの論書を書いた。これらは漢訳されることはなく、日本には入ってこなかったが、近年仏教学の成果により徐々に解明されつつある。チベットではゴク翻訳官ロデンシェーラプが翻訳し、これまでほぼ900年以上に渡って研究され続けてきたものである。特に、『量評釈』は「五大根本テキスト」(gzhung po ti lnga)の一つとして数え上げられるものであり、極めて重要なテキストである。

ゲルク派のドゥダとは何か

ゲルク派には大きく分けて現在ヨンジン・プルチョクパ(1825-1901)の書いた『ヨンジンドゥラ』、ラトゥー学堂(rwa stod)で使用されていたジャムヤンチョクラウーセルの書いた『ラトゥードゥラ』、一切智者ジャムヤンシェーパ・ガワンツォンドゥーの精神継承者(Thugs Sras)と呼ばれる、ラブラン・タシキル寺の座主(ティパ)であった、ガワンタシー(Ngag dbang bkra shis 1678-1738)の書いた『セードゥラ』という三つのドゥラが広く流布している。今回ここで我々が学習しようとしているのはそのその中でもセードゥラはドゥラはドゥラの中でも最も難しいドゥラであると言われている。

ドゥラの思想的立場

ドゥラはもともとダルマキールティの七部の論理学書の中の最も詳細なものである『量評釈』を理解するためのものとして書かれている。

ドゥラの思想的立場としては基本的には経量部の立場に立っている。経量部とは、仏教内部の四つの学派のうちのひとつであり、小乗に属するものであり、ゲルク派の最終的な立場である中観帰謬派の立場ではないが、ダルマキールティ自身が『量評釈』で経量部と唯識派に共通の教えと唯識派に独特な教えとを両方教えたことから、まず経量部の教えを理解することが先決としなくてはいけないという配慮から主として経量部の教えを述べているのである。

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