作成日: 2009-08-27 最終更新日: 2016-09-30 作成:野村 正次郎

A1 通説

「トゥプター」という表現は造語ではない。何故ならば仏陀の聖言のなかで説かれているからである。たとえば『入楞伽経』では、

謂我二種通。宗通及言言。説者授童蒙。宗為修行者。
私の教法の形式には二種類ある。教示と学説とである。
童子に対しては教示を説き、瑜伽行者に対しては学説を説いたのである。

と説かれている。

更に、人を分類すると、学説によって知が変化していない人と学説によって知が変化している人とがいる。

前者は、聖典を学ぶこともなく、考えたり分析することもしないで、倶生起の知によって今生の楽しみのみを追求している者である。後者は、聖典を学び、基体・道・果の三規定を自己の知に成立させ、その内容を聖言・正理の道を通して論証する者である。

また「トゥプター」という言葉の語義については〔ハリバドラ著〕『〔現観荘厳論〕語義解明』によれば「トゥプターと〔いう言葉の意味〕は、正理と聖典によって教示のなかに自己の主張が成立して(siddha)おり、それ以外へ越えないので端(anta)である、〔という意味である〕」と説明されている。このように聖言・正理のいづれかに依拠して判断し、そこに成立しているものを命題として宣誓し、その内容は各自の知にとってはそれ以外の別の内容へと越えてゆくことが無い、このことから「トゥプター」と呼ばれるのである。

これ(学説)を分類すれば二つ有る。外教と仏教とである。単なる外教徒・仏教徒自体の違いは有る。何故ならば、心から三宝に帰依する人は仏教徒であり、三宝に心を向けることなく世間の見解に心から帰依している人は外教徒であるからである。また外教の学説論者と仏教の学説論者との違いも有る。説法者・法(教え)・見解の三つを通じて判別されるからである。そうなる。何故ならば、自派(仏教徒)とは、説法者は一切の欠点が無く功徳を完うしていること・その教えとしては有情に対して暴力を与えないこと・見解としては常一自在な我に関しての空を主張すること、という三つの特徴を備えているが、他派(外教徒)はこれとは逆であり、説法者は欠点があり功徳が完全なものではないこと・教えは有情に対して暴力を与えること、見解としては常一自在な我として成立していると承認しているという三つの特徴が有るからである。