作成日: 2006-11-05 最終更新日: 2016-11-08 作成:事務局

般若波羅蜜多とは

『般若心経』ではこのように説かれています。

三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
三世の諸仏は、般若波羅蜜多に依るが故に阿耨多羅三藐三菩提を得る

これは我々をも含め、過去、現在、未来において仏となろうとするすべてのものが成仏することを可能とさせるものが、般若波羅蜜多であるということを説いています。「般若波羅蜜多」(prajñāpāramitā, shes rab kyi pha rol tu phyin pa)とは「殊勝なる智慧」という意味です。一般的には智慧には様々なものが有りますが、それらのなかでも殊勝なもの、最高のものが般若波羅蜜多ということになります。

一般的に「智慧」という場合には、様々な種類のものを想定することができます。そのなかには「無益な智慧」「有染汚の慧」と呼ばれるものも含まれています。

たとえば「誤解」というものも心の分類としては「慧」の一種といえます。私たちは、滅するという本性を有する五蘊の集合体を対象として、それを“私である”と強く信じ込んでいますが、これは「誤解」の一種であり、「有身見」と呼ばれる、転倒した見解です。しかしながら、これもひとつの「見解」であるので、「慧」のひとつに分類されています。しかしこれは転倒した智慧なのであり、有染汚の慧といわれています。

また“無益な智慧”といわれているものは、このようなものです。何度も検証を繰り返しすけれども、これと言って有益な結論が出ない場合の考察は無益な智慧と言われます。もちろん検証、分析的な思考はしているのですが、その分析の結果 何らかの役立つことを見出したり、その成果のようなものが、得られないからです。ですからこれは“無益な智慧”と言われているのです。

同様に技術的なものはすべてたとえば工芸や技術等最近ではコンピュータなどこういう様々な分野で智慧は活用されています。このように智慧には様々ありますがその中で「般若波羅蜜多」は、最も勝れたものです。

では何故これが勝れているかと言いますと、それは実相である空性を理解する知であるから「最高の智慧」と言われるのです。これは実相空性を理解する智慧であり、なおかつ、方便である菩提心を伴う布施等の方便を伴ってもいます。そのような空性理解の智慧を指して「般若波羅蜜多」というのです。

これは二顕現が滅した状態で空性を理解している知でもあります。そのような理由から“般若波羅蜜多”と言われるのです。それによって果たる一切相智の地まで導くことが可能でもあり、一切相智の地を得させる知であるので“般若波羅蜜多”なのです。声聞独覚の聖者たちにも、空性を現観する智慧は有りますが、しかしそれはあくまでも煩悩障の対治に過ぎず、所知障の対治になりませんので“般若波羅蜜多”とは言われません。

つまり、智慧が勝れたものなのかどうかは、対象の実相を検証する知—–つまり勝手な判断ではなく、対象の実相を分析する知が何を理解しているのか。つまり通常の対象を理解するのは、通常の智慧とされます。これに対して誤った対象を理解しているものは誤った智慧であり、有染汚の智慧とされます。

対象が二障を断じる対治へ成り得るもの、それが空性理解の知です。つまり対象である空性を誤って捉えている時は、その知は無明ですし、それが原因で輪廻します。輪廻する原因となる知が思い込んでいる対象は存在しないと知り、その知が誤りだと知り、その知とは逆のものを捉える知、これが涅槃を得させる知となります。

このように対象である空性が分かれば、涅槃となり、それが分からなければ輪廻となるこの輪廻と涅槃の基盤、最も重要なポイント、これが“法性” “空性”と言われるものです。この意味で “空性”は“最勝なる対象”と言えます。この“最勝なる対象”を知り、単に知るだけに留まらず、広大なる方便の滋養を伴うものであるからこそ、“最勝なる智慧”“般若波羅蜜多”なのです。