2006.11.01

EP0201 2006年11月1日:ダライ・ラマ法王による龍蔵院デプン・ゴマン学堂日本別院での談話

みなさまにご挨拶申し上げます。このお寺は私たちゴマン学堂のケンスル・リンポチェが来られて、日本別院となり、そしてケンスル・リンポチェが仏教興隆を目指して滞在されていること、これは大変素晴らしいことです。

仏教は「信心」だけが大事であるというものではありません。智慧に裏付けられた信仰こそが大切です。もし「信心」だけでよいとすれば、仏教のもっている素晴らしい特徴を全然利用できないことになってしまいます。

智慧は、最初は聴聞をすることにで生まれ(聞所成の慧)ます。そしてその後でその教えの内容を考える(思所成の慧)ことで智慧が生まれるのです。そしてその教えの内容を何度も繰り返し習うことで智慧が生まれるのです。(修所成の慧)です。

釈尊ご自身は単にお祈りだけをしなさいと説かれているのではないのです。釈尊ご自身も沢山の説明をなさっています。その後継者であるナーガールジュナ(龍樹)などの方々も沢山の詳しい説明をなさってこられました。ナーガールジュナ等の方は、仏教の教義を説明する上で、論理的な規定を非常に大切にされております。彼らは様々な論拠を示し、仏教の教義を説明されています。

ですから一般に「仏教徒」という限り、特に「大乗の仏教徒」という限り、教理の学習は極めて大切なことです。

たとえばケンスル・リンポチェは、15年〜20年くらいの長い間、経典を学習していまここに来ています。私はとても怠け者の学生でしたが、私でも少なくとも15年位は経典の学習をしました。いまも私も歳をとって、71歳にもなりましたが、常に継続して経典の学習をしています。

ですので、みなさまも仏・法・僧にお祈りするだけは全然だめなのです。仏教徒という限りにおいて仏教の考え方を身に付ける必要があるのです。クンケン・ラマ・ジャムヤンシェーパは「すべてのものは空にして無我である」(諸法無我)・「すべての作られたものは無常である」(諸行無常)・「有漏の法はすべての苦しみである」(一切皆苦)、「涅槃は寂静である」(涅槃寂静)という四法印を認めるかどうかの違いに仏教徒かどうかの基準を置かれています。そしてこの四法印を認めない人々は仏教徒とは言えない、と説かれているのです。ですので、私たちはこのような教義を理解して、その理解によって確固とした確信をもって信仰を起こすのならば、本当の仏教徒といえるのです。

このケンスル・リンポチェはクンケン・ラマ・ジャムヤンシェーパの後継者のひとりです。彼がクンケン・ラマ・ジャムヤンシェーパの代理人をちゃんと務めれるかどうかは分かりませんが(笑)、クンケン・ラマ・ジャムヤンシェーパの後継者であることは間違いありません。日本にもう大分長く住んでいますので、日本の方に対して、彼が仏教の教理をきちんと紹介できると保証できるでしょう。みなさまのこのお寺が仏教興隆のために多大に貢献しますことを私は願っておりますし、またそれをお祈り申し上げます。

また龍蔵院の住職様には、こうしてゴマン・ケンスル・リンポチェにこのように多大な支援をして頂き、誠に有りがたく御礼申し上げます。

私たちは全員、釈尊という偉大なる智慧と方便と力をもった同じ師の弟子です。さらには偉大なナーガールジュナという同じ師の弟子でもあります。ですので、我々は師匠である、釈尊ご自身が説かれた教え、そしてナーガールジュナご自身が説かれた教えというものを学ぶことは極めて大事なことなのです。どうもありがとうございました。

2006年11月1日・日本別院にて


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