Last Updated: 2022.05.14

仏世尊説甚深縁起讚 善説心髄

ジェ・ツォンカパ・ロサンタクパ著

Namo Guru Mañjugoṣhāya

それを眼の当たりにし説かれたことで

無上の智者であり 無上の教主である

彼の勝者 縁起を知りそれを説く者

この御方に私は頂礼せん

すべての世間を破滅させるもの

それはすべて無明を根源とする

それを見ることで退け得るもの

この縁起を説かれたのである

しかるに 智慧の有る者なら

縁起というこの道こそが

君の教説の枢要であると

解さないことがあるだろうか

このようであるから護主たる君を

讃嘆するための門として

どんな者でも縁起を説かれた

このこと以外に何を見出せようか

何であれ縁に依存しているもの

それらは本性に関して空である

説かれているこれよりも稀有なる

善き教授の方法など一体何があろうか

愚童たちがそれを捉えるなら

辺執の束縛を固くするのみである

賢こき者たちには戯論の網を

残りなく断ちきるための門である

この教説は他の者には見ることができない

教主と呼ぶに値するのは君だけなのである

あたかも狐たちを獅子と呼びかのように

他のものたちにはこの名は世辞に過ぎない

嗚呼 教主よ 嗚呼 救世者よ

嗚呼 最勝なる語り手よ 嗚呼 護主よ

縁起という善説を説かれたこの御方

教主よ 私は君を頂礼せん

利行を為す君は衆生たちを

癒すためにこそ説き給われた

教説の核心たる空性を確定する

そのための比類なき根拠を

縁起の真実は

対立しており不成立であると

そう見る者が君の密意を

一体どうして解せようか

君が空性を見る時には

縁起の意味で見るだろう

自性に関しては空でありつつも

作用を為し得ることには矛盾はない

これに逆転して見るのならば

空である限りは作用は不可能であり

作用を為せば空は無であることになり

断崖の底へと落ちてしまうだろう

それ故に君の説かれた教説において

縁起を見ることは善しと称えられる

それはまた何も全く無いことでもなく

本性によって有るからではない

依存しないものは空華の如くである

それ故何にも依らぬものは存在しない

それ自体で成立しているのならば

その成立が因縁に依るのは矛盾する

このことからも縁起しているもの

それ以外の如何なる法も存在しない

自性によっては空であるもの以外に

如何なる法も存在しないと説かれる

諸法に何らかの自性が有るのならば

自性を退けることなどできないので

涅槃を実現することは不可能となり

戯論寂滅もまた無いと説かれている

それ故に諸々の自性からは離れている

この獅子のことばを何度も繰り返し

賢者の群れに善く説かれたこのことに

一体誰が肩を並べることができようか

如何なる自性も存在していないことと

何らかのものに依存して起こること

この正しく一切を規定する両者こそが

矛盾なく両立することはいうまでもない

依存して起こるというこの根拠によって

辺見に依るべきでないというこのことを

正しく説かれた護り主たる君だからこそ

無上なる語り手と謂える因なのである

すべてはそれ自体では空である

これからこの結果が生じている

この二つの確定はそれぞれが

互いに損なわず補助しあっている

一体これよりも驚嘆すべきものがあるのだろうか

一体これよりも貴く希有なるものがあるのだろか

そしてそののことによって君を讃嘆するからこそ

讃嘆となるのであって それ以外ではないのである

漆黒の闇に囚われていることで

君に敵対しようとする者たちが

自性が無いというこのことばに

耐えられないのも無理はない

君の教えに愛蔵されている

縁起の教えをまもりながら

空性の獅子吼に耐えられない者

そのような者を私は不思議に思う

無自性へと導いてゆく門である

この無上なる縁起の名を聞いて

自性が有ると捉えるのならば

さてこの者は一体何をしようというのか

勝れた聖者たちが善く赴かれた

他には比べられないこの桟橋の

君を歓喜させる賢きこの道へと

どのような方法で導くべきなのだろう

無作為で何にも依存しない自性と

作為された依存している縁起とを

一体どのようにすれば同じ基体で

矛盾なく成立させられるだろうか

それ故に縁起しているものは何であれ

自性に関しては本初よりこのかた空である

然れどもそれとして顕現するが故にこそ

すべては幻の如しと説かれているのである

君が説かれた教説はどのように

如何なる反論を投げ掛けるとも

それが当てはまる隙を見出せない

このことにより善く怯えさせる

何のために説かれたのかと言えば

見えるものと見えないものに対し

増益し損減しているその理解を

永久に遠ざけるためなのである

君の語り口が比類なきことを

証明する論拠たる縁起という

この道それ自体により他の話も

量たるものだと確定が起こるだろう

如実に観じて善く説かれている

君の教えに従う者ならば

すべての破滅から遠く離れるだろう

すべての過失の根を断つからである

君の教えに背を向けて

どれほど努力しようとも

自ら過失を集める如くであろう

我見を固めるに過ぎないからである

嗚呼 賢者によってこの両者の

差異への理解が示される時

その時全身の骨の内部から

君をどうして敬わぬことがあろうか

君は多くのことを説かれたが

そのほんの僅かの各々の意味だけに

ただ何となく覚束ない確信をし

それを最勝なる楽の源とするのか

何たることか 我が心は痴に破れ

斯くの如き功徳溢れる集蘊を

永くも帰依処としながらも

その功徳の一部も知らなかったとは

それでも死神が口を開けて

いまだ命が途絶えてしまう前に

君を少し信解できるようになった

このことは賢劫だったと思えてくる

教主のなかでも縁起の教主であること

智慧のなかでも縁起の智慧であること

この二つは世界の覇者たる帝王の如く

群を抜き善く知る者は君であり他ではない

君が説かれたそのすべてのものが

縁起に関連しそれを意味している

それも涅槃させるためのものであり

寂静へ至らしめぬものなど君には無い

嗚呼 君が説かれたことが

傾けられた耳の道へと入ってゆき

彼らすべてを寂静へと導いてゆくだろうから

君の教えを護る者に敬わない者がいようか

あらゆる論難を打ち破り

先後対立することも空しくし

九生の二利を齎すものである

この教説に私は歓喜を覚える

このことのために 君は

時には御身をも 他のためには命をも

愛おしい親族をも 財産のすべてをも

無数の劫において何度も捨て給われた

君の功徳を見ることで

釣針に囚われた魚の如く

御心は導かれ説かれたこの法を

君から聞けなかったこの劣劫よ

その悼みの悲しみの力で

愛する我が子のために

母の心が徘徊するように

我が心も行き場を失うだろう

ここで君の言葉に思い馳せる時

君の相好の栄華は燃え盛るだろう

放たれた光明の網はすべてを囲繞し

彼の教主の梵音の旋律を奏でるだろう

これはこの如しと説かれたと思うなら

心に映されたその影像が現れるだけで

燃え盛る焔のなかに悶えてしまった

すべての苦しみを月光の如く癒すだろう

このように殊勝にして

善きこの教義に通じぬ者が

細かい雑草を茂らせる如く

如何なる時も混乱させてきた

この状態を見つめた後

私は多くの努力を重ねて

賢者を追従して君の密意を

繰り返し探求してきたのである

そして自派と他派との

多くの典籍を学べば学ぶ程

より一層疑念の網に囚われて

私の心は常に悶えていた

しかし君の無上なる乗の次第を

有と無の辺を断じることで

如実に釈すると授記された

龍樹の典籍というクムダの花園に

無垢に知る智の曼荼羅は拡げられ

教説の天空は遮られず動きだした

辺執という心の闇は取り除かれる

悪しき語り手の星雲を圧倒する

吉祥なるチャンドラの善き説の

澄明なる白光の環は照らされて

ラマの慈恩によって見えた時

私の心も休息を得たのであった

すべての活動のなかでも

説法の業こそ最勝のものである

そのなかでもまさにこれこそによってこそ

賢者はここから仏陀を追想すべきなのである

彼の教主に従い出離しながらも

勝者の教説を学ぶことに乏しくなく

瑜伽行に励もうと精進する比丘は

大仙たる彼をこのように敬服する

無上なる教主の教法に

出会えたこれも師の恩恵であるので

この善がまた残りなき衆生たちが

勝れた善知識に摂取される因たらんよう廻向する

利益を為すこの教説を最期有に

悪見の風邪に靡くこともなく

教説の思索を巡らせ教主への

信心を得て常に満たされんことを

縁って起こる実義を明らかにし給へる

牟尼の賢き教法に如何なる生を受けるとも

身体と命を抛つとも護持することに

刹那たりとも緩みなくならんことを

この最勝の導師が無量の苦行によって

一所懸命に成就し給へるこの教説を

如何なる方便によっても増大するような

考察によって昼夜を過すことできるように

清浄なる意楽でこの理趣へと励むなら

梵天や帝釈や世間の守護尊たちと

大黒天などの護法尊たちによっても

見放されずに常に支援されんことを

以上、仏世尊一切世間の大善知識たる無上なる釈尊に対して甚深なる縁起を説かれたことを通じての讃嘆・善説心髄というこは多聞の比丘ロサンタクペーペルがヒマラヤ地域の雪山の王者たるオデグンゲルのラショル寂静処レーディン、別名ナムパルゲルウェーリンにて識したものである。


RELATED POSTS